初めての一歩

現役高校生。

「私は愛されて育ちました。」現役高校生の今思うこと

 

 

 こんにちは。初めまして、とろろにんげんと申します。10月1日の今日、ブログを始めました。なるべく高頻度で更新していくつもりなので、もしよろしければお付き合いください。

 このブログは主に中高生、またお子さんがいらっしゃるお母さん、お父さん向けです。

 

大まかな人物紹介。

 

 現役高校生。元囲碁部員。勉強はそこそこ。運動は壊滅的で、五十メートル十秒の鈍足です。※桐生選手だったら余裕で百メートルを駆け抜けている。

 

 好きなものは日本語。それに準じて趣味は読書、そして文章を書くこと。普段は小説サイトで細々と小説を書いています。ニュース番組や新聞は小さい頃からのお友達です。

 

 好きな芸能人はいません。むしろ、芸能人は具志堅用高さん、ローラさん、広瀬すずさん(18歳選挙権ポスターに出ていたため)しか分からないため、日常会話に支障が出ます。

 

 これから三年間で挑戦したいことは、プログラミング言語の習得、TOEIC700点、世界史マスターになる、物理、二百メートル走っても息切れ動悸が起こらない体づくり。最後に限ってはもはやしばらく運動をしていないお父さんの口先目標みたいだな。

 

 興味が強いのは、教育の分野です。教育、勉強、この二つのジャンルが多くなります。

 

「高校生」である私がこれから伝えたい事

 

 子どもを愛する、ことについて言ったん立ち止まって考えてみてほしい。

 

 これが、私のブログで一貫して言いたいことです。

 

 最初なので、軽く、私がブログを始めるに至った経緯を書きます。

 タイトルにもありますが、私は両親に愛されて育ちました。

 

 …いや、だからなんだよ、というツッコミがパソコンの向こうから聞こえてきそうです。

 子どもを大事に思っていない親なんていないですからね。小学校の道徳の教科書にだって、そんなこと載ってます。

 愛されるために生まれてきて、愛を注がれてすくすくと育っていく。

 それが当たり前、普通のことです。

 

 

 私は、愛されて、育ちました。

 

 

 私には家に帰れば、温かいご飯があって、ふかふかのベッドがあって、にこにこと笑うお母さんがいて。

 幸せな家庭だと思います。

 家に帰ってもご飯なんてない、髪を引っ張られ頬を張られ、お前なんて生まれてこなければよかったのにと罵られる―――そんなことは一度もありませんでした。

 ただ私には一個だけ、願い事があります。

 

 叶うなら、お母さんに抱きしめてもらいたい。

 

 唐突ですが、私には二人の姉が居ました。

 過去形です。

 二人とも流産という形で、この世に生を受けることができませんでした。

 唯一私だけ、運よく、うまれてきたのです。そして、私が生まれた直後、母は子宮を切除しました。

 とても言い方が悪いですが、姉二人が生まれてこなかったおかげで、私は両親の期待を一身に背負い、「愛される」こととなりました。

 

 私の父の年収はそれなりで、母は専業主婦として生活しています。父は身内のひいき目で見ずとも努力家です。あまり経歴を言うと誰か分かってしまう可能性があるので書けませんが、一言で言えば頭が良いです(抽象的だな)。 

 母は栄養士の免許を持っており、毎日の食卓に並ぶのは栄養バランスの取れた素晴らしい料理です。

 二人は昔の職場だったとある病院で出会い、六年間の交際を経た後に結婚しました。なかなか子どもができず苦労した、という話は、耳にタコができるくらいには聞いた記憶があります。

 

 そしてそれ以上に母からよく聞いていた言葉があります。それは

 

「あなたが小さい頃、お母さんはすごい大変だったけれど、毎日公園に連れて行って遊ばせたり、いろんなことを学ばせたのよ。あなたのために」

 

「ちゃんと勉強しなさい。昔から塾も沢山行かせてあげたでしょ。あなたのために言ってあげているのよ」

 

「あなたのために、私は頑張ったのよ(頑張っているのよ)」

  

 実際おぼえてはいませんが、幼稚園の頃から塾は「書道」「ピアノ」「英会話」「算数」「国語」をやっていて、小学生になったら「英会話」「英語」「珠算(そろばん)」「算数」「受験算数」「国語」「テニス」に通わせてもらっていました。

 受験数学は簡単に言えば、中学受験用の算数です。

 

 自分でも「愛されている」なぁ、と思います。長くなるので今度あらためて書こうと思いますが、小学生の時は木曜日以外、塾。

 当時の口癖は「ごめん、今日塾だから」

 

 現在高校生に至るまで、週休二日、を体験したことがありません。ぜひブラック企業か、と笑ってやってください。

 

  もう大体わかっているかもしれませんが、私の両親の期待は、世間一般の子どもが受ける期待値をキャンプカーの重さ並み、とするなら、私が受けた愛はダンプカーでした。

 重いです。想いだけに。

 ダンプカーってとっても重いんですよ。(キャンプカーの6倍らしいです)

 当然、小学生の頃の私はその重さに潰れそうになりました。たった十やそこらの子どもが、いきなりダンプカー背負おうとしたんですから。無理です。霊長類最強のあの方でギリギリ勝てるかもしれない…くらいの重量でした。

 

 さて、少し話を戻しますが、小学生時代は、塾からの帰り道、ぼろぼろ泣きながら自転車で坂を下りる毎日でした。同年代の子達が楽しそうにどこで遊ぶか決めている横で、馬鹿でも分かる算数って書いてある参考書を読みふけっていました。そりゃ泣きたくもなります。

 

 そして、間の悪いことに、小学生高学年、つまり受験が目に見える形になった頃に、両親の仲が悪化しました。ほぼ毎晩のように母のヒステリックな叫び声と、父の怖い怒鳴り声が私の部屋まで響いてきていました。

 私は、部屋のドアを閉め、布団に潜り込んで、耳を塞ぐことしかできませんでした。例えどれだけ暑くて、息苦しかったとしても、二人が互いを罵倒し合う声を聞くより何倍もマシでした。

 

 流石に辛くなかった、とは口が裂けても言えません。

 すっごく簡単に言えば、自殺しようとしました。

 今はそうそう思いません。あの時は大変だったなぁくらいです。もう何年も前の話です。抉りに抉られた傷も、もはやかさぶたも残っていません。

 記憶を掘り起こしても、もう痛くないです。

 

 上記にもある通り、私の母は、私に立派になってほしくて、色んな教育を施してくれました。それが時に重すぎる、と私は感じて辛い思いをしたこともある、というだけです。

 

 その時感じたことをこのブログで伝えて行ければ、と思っています。きっと同じような環境に居て、今もなお苦しんでいる子はいるはず。少しでも痛みを共有してあげたいです。

 

 

愛着障害について

 

 まあ、良く当てはまります。愛着障害こじらせてね?って言われる前にぬるっと。

 今叶うならお母さんに抱きしめてもらいながら、「よく頑張ったね、偉いね」と言われたいです。言ってもらえるならそれこそ空中バク転だってなんだってやります。

 子育てをしているパパ・ママには愛着障害の存在を知ってほしいです。今後記事にはしますが、ぜひ調べてみてください。

 

 

最後に

 ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。もしこれから読んでやっても良いよ、という方はよろしければお付き合いください。

 

 

 

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